♛Queens lab.

生きることって楽しいを見つけることじゃない?

母の戦争体験を書いたらローカル紙から取材が来た 弱小ブログの奇跡

だからブログは面白い

2019年からブログを始め

それは1mmも無駄な時間ではなかったと思う。

私たちは自分が興味を持つ事以外には

あまり目を向けない。

 

自分が育った家庭のルールが

デフォルトだと思いがち。

 

ブログを書く事で多くの人とも繋がり

それによって感じるのは

価値観やルールや正解は

一つではないと言う事。

 

ブログは自らが何かを発信するけれど

時には発信者側に対して

何らかのアプローチが生まれる。

 

母への取材依頼

ブログのcontact欄からメールが来る。

その多くは、読者やPVを増やせますよな勧誘。

もちろん有料。

 

ある日メールを開くと

2024年8月13日の記事を読んだ新聞記者からの

取材依頼。

そのローカル紙は母の出身地のもので

私も名前だけは知っていた。

www.421miyako.com

ただ、今時はどんな新たな

詐欺かあるかわからない。

取材依頼の内容のシリーズ記事が

実存しているのは確認した。

 

記者の署名欄には電話番号も明記されていたが

社名検索で電話番号を調べて掛けてみた。

その前に、その電話番号でも検索してみた。

 

電話をするとご本人は不在でしたが

上司の方とお話しして

詐欺ではないことが判明した。

 

母、饒舌に語る

101歳の母は、認知度0%では無い。

80年以上前の話を数日前と思い込んだり。

とにかく本人が嫌と言ったら

無理強いもできない。

 

自分が喋っても仕方ない、

もっと年上の人に聞いたらと。

(母より年上の人、見つからん!)

了承したものの、嫌と言い出しかねないから

内心ヒヤヒヤもの。

遠方よりお越しいただくのに申し訳ない。

 

母に依頼が来たのは

当時母が働いてた監視隊での体験団。

監視哨の高いやぐらの上で

敵機や船のマストを確認して

ホットラインで監視隊に連絡が入る。

その連絡を精査し

ホットラインで軍隊に連絡するのが

母がいた監視隊。

いわゆる通信の様な仕事。

男性が出征してしまい

女性たちがその役目を担う様になった。

 

当時の日記なども存在しているそうですが

私の想像では

日記は心情などを綴ったものが

多かったのかもしれません。

 

実際に体験した人の口から

当時のリアルを取材したかったそうです。

 

あらかじめ取材したい内容を

メールで頂いたいたので

万が一のために細切れには

インタビューしておいた。

 

同じ話がループしたりはしたものの

なんだかんだ、まあよく喋る。

記者の言葉を遮るようように

どんどん被せてくる。

 

エキサイトし過ぎて

体調大丈夫かと、心配したけれど

翌日も元気で一安心。

 

あんなくだらないこと話して

恥ずかしいとか何とか言うので

当時の事を知っている人は

殆ど居ないこと、

これは価値あること、

自慢して良いんだよっていうと

やっと納得した。

100歳過ぎて世の中の

役に立つことをしたんだからと。

 

取材の余韻のせいか

まだ聞いたことがなかった情報も飛び出し

急いでその内容をメールした。

 

話しているうちに

多くの記憶がよみがえったようです。

みつけてくれて感謝

特化記事などではその界隈で

有名なサイトもある。

弱小ブログが新聞記者の目に止まるなんて

私が1番驚いている。

 

文章がうまかったのでもなく

内容が素晴らしかったわけでもない。

母から聞いた話を書いただけ。

私の唯一の手柄は

ブログを運営していたことだけ。

 

プロ視線でどの部分をどんなふうに切り取り

どんな記事になるのか

それも楽しみですが

ボツにならないことを

只々、祈るばかりです

 

そして、ブログ仲間の皆さん、

書き手の私たちには、

それを読んだ人がどんな風に感じたかを

知る由も有りません。

私たちには伝わってこなくても

きっと誰かが読んでくれている。

参考にしてくれたり

面白いなって思ってくれたり。

それがブログを続ける理由。

 

・・・そして記事が掲載されました。

それはまた後日。