
必要は発明の母
発明は、こうなったら便利だな
これが出来たら楽だろうな。
そんなところから始まっていると思う。
洗濯板と石鹸があればいい。
そんな人だけなら、洗濯機は生まれなかった。
水は冷たいし、しゃがむと腰が痛くなる。
手も荒れるし、時間もかかる。
総合的に言うと面倒だってこと。
楽したいという発想から
物事は生まれる。
合理主義者はある意味ズボラ
わざわざ、そんなに
手間をかけなくてもいいのに。
それを面倒だからと捉えるか、
合理主義と捉えるかはひとそれぞれ。
人それぞれだから
そこに口出ししてはいけない。
たいていの人は自分の主義を
正解だと思う。
でもそれでいいのだよ。
全員同じ考えである必要は無いのだから。
これを今風に言うと多様性という。
手間をかけることが尊いと
思っている非合理主義者にとっては
効率のいい行動が
ズボラに見えるのかもしれない。
合理主義者にとっては
手間をかけることが
どんくさいって思う。
合理主義者はアイロンをかけるシャツなら
そのままハンガーにかけて干す。
非合理主義者はパンパンってしわを伸ばして
ハンガーにかけて干す。
一見合理的なようだけど
アイロンをかけるシャツでも
しわを伸ばして干した方が
アイロンがけが楽になる。
こうなると、合理主義が
果たして合理的なのかは疑問になる。
合理的なつもりが
結果的には手間がかかってしまう。
でも、必要は発明の母
これを考えたのもきっとズボラな人。
私は使ったことが無いので
どこまで効果が有るのかわからないけれど
伸ばして干すのって面倒だな。
アイロン掛けるの面倒だな。
それがこういう考えに至ったと思う。
メンドクサイを回避するために
人は色々考える。
時にはひと手間かかることも有るけれど
一度手間をかければあとが楽。
楽になれば心も軽くなるし
浮いた時間で、さあ何しよう!