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生きることって楽しいを見つけることじゃない?

私のちいさなお葬式(洋画) 食べずに飼った鯉の恩返し

私のちいさなお葬式

Amazonprimevideo字幕版で
2025年9月視聴
1時間39分

舞台はロシアの小さな村

 

エレーナの決断

元教師エレーナ73歳
心筋虚血と発作心室頻拍の兆候があり
心悸亢進(しんきこうしん)
血行動態が悪化し不整脈や心室細動の
原因になる。

病院で出た診断です。


難しいことはわからないけれど
心臓が悪くてかなりやばいよってことは
わかります。


余命宣告されるのと
いつ発作が起きるかわからないという

爆弾を抱えて生きるのとでは
どちらが・・・って思います。

 

ある日家で倒れて病院へ。
離れてくらす息子が

スニーカーを持ってやってきた。
救急車で運ばれたとき

靴を履かせてくれなかったから

帰りに履く靴が無い。

 

息子が持ってきたのはメロン色のスニーカー
ん~、この色の選択って・・・
最初から突っ込みどころがありそうだけど
箱にも袋にも入っていないスニーカーを手にもって・・・
家から持ってきたのか?
それならそれと言ってくれないと
つっこみどこどころに分類ししゃうぞ。


だけどあんな山奥の家に立ち寄ってから
また病院に行くなんて要領悪すぎ。
やっぱり息子が選んだんだ・・・と思う。

 

仕事人間の息子オレクは
母のことが気になるし、

今後のことも気になるけれど
仕事に追われて帰ってしまう。


息子がお金を置いてった。
ちょっとだけだからって。
彼女は立てかけた絵の裏から
折りたたんだビニール袋をとると
おもむろにそれを開ける。


サイズ的に、お金だろうというのは
誰でもが想像できる。
ビニール袋を開けると
もう一枚のビニール袋。
その中にハンカチに包んだお金が入っている。

この何重にも包むところが
おばあちゃんあるあるです。


そのお金を葬式代、葬儀社、棺桶代、墓地・・・と
小分けに分類した。

 

きっちりした性格の彼女は

息子や周りの人たちに

迷惑をかけたくないという思いだった。

 

エレーナのやりすぎ


翌日エレーナは埋葬許可書をもらいに
役所に出向く。
認知でもなんでもなく彼女は大真面目。

 

大丈夫ですか?な態度の

担当の女性に

周りを煩わせてはいけないので
すべての準備を自分で整えておきたいと

説明する。


そのためには埋葬許可書が必要だからと
医師の診断書を見せるが
埋葬許可書をもらうのには

死亡診断書が必要という彼女の言葉に
納得する。

 

彼女はその足で遺体安置所に向かう。

目的は死亡診断書をもらうため。

死んでいないのに出るわけないよね。


村には彼女の教え子もたくさんいる。
遺体安置所にいた教え子に
死亡診断書を作ってもらう。

日付は今日。

場所は自宅。


再び役所に行って書類を出す。
本人が死亡診断書を持ってくるなんて
前代未聞のこの出来事に
係のお姉さんは書類を作り判を押す。
これであなたは抹消されました。
今からは無ですと。


ここも突っ込み所か?
いえ、これはおとぎ話だと思えばいいのよ。

 

彼女は小さな荷車を持ってバスに乗った。
勘のいい方なら何に使うのか
想像つくよね。
そうです。棺桶を買って包んでもらって
バスに乗せて帰っていきます。

棺桶を包む?

さすがの葬儀社の人もきょとんです。

どんな風に包んだのかは

映画で見てください。


真っ赤な棺桶をを見た

パンクなギャルたちが
「入ってる?」
「はい」と答えるおちゃめな彼女です。
「きもーい」って言いながら
ギャルたちは棺桶と一緒に自撮りします。


別の日には墓地に行って墓穴を掘ってもらい
村のよろず屋みたいなお店に行って
パン、マヨネーズ、卵や鮭缶、
キャンディーやらウォッカやらを
大量に買い込みます。


葬儀の時のふるまいの用意。

ドクターはいつ心停止しても

おかしくないとは言いましたが
明日とは一言も言ってません。

 

恋のバカンス

ザ・ピーナッツの恋のバカンス。

私前後の世代なら

絶対知っているヒット曲です。

 

エレーナはちょっとおめかしして

この曲を流しながら

ひとりで踊り物思いにふけります。

 

いつ何が有ってもという宣告に

動揺することもなく

周りの事だけを考えて

奔走した彼女が

初めて自分の心と

向き合った瞬間かもしれません。

 

ロシアの曲なんだと思って

調べたところ

岩谷時子作詞

宮川泰作・編曲でした。

 

もっと調べたら

当時のソビエト連邦国家テレビラジオ委員会の

東京特派員がこの曲を気に入り、

ソビエト連邦本国に持ち込み

積極的に展開し

1965年に人気歌手ニーナ・パンテレーエワが

ロシア語歌詞で歌い大ヒットしたそうです。

 

息子の思い

遠く離れた都会で

仕事漬けの息子ですが

年老いた母を一人で

置いておくわけにはいかないし

なにかあってもすぐには来られない。

母を説得する前に、

老人ホームを見学に行った。

 

万事整ったら死ぬのを待つだけ


余命宣告されても

あと一日なんて言うのはあまり聞かない。

ましていつ何があってもというレベルなので

何もないかもしれない。


だけど彼女は死ぬ気満々で

ベッドの上で息を止めてみたり
雷に打たれに外に出てみたり
挙句の果てには隣に住む友人に

自分が死ぬのを手伝うように言う始末。


でもそれが無理だとわかると、

友人を集めておしゃべりしながら

用意しておいた葬儀用のふるまい料理を

隣人と二人で飲んでつまみに食べる。


友人は、エレーナの息子あてに

お母さんが死んじゃうから帰って来いって
メールをする。


酔いつぶれて寝てる彼女の手を
友人が胸の上で組ませたもんだから
車を飛ばして駆け付けた息子は
部屋には棺桶もあるし、

机の上には死亡診断書もあるので
間に合わなかったと涙する…が、死んでない!

 

息子は悲しんだ分、怒りも倍増。


ところで冒頭のシーンで
昔の教え子が釣った鯉をくれるんだけど
そして、彼女はそれを家で飼うんだけど
このくだり、必要?って思うでしょう?
必要なんですよ。

 

この映画の原題は

Karp otmorozhennyy

翻訳すると解凍された鯉

 

この映画の解説を見ると

この鯉こお息子のメタファー(隠喩)と

説明されたものが多々ありました。

 

もしかしてソースはひとつ?

そういう発想は無かったけれど

言われてみればまさにです。

息子への思い

エレーナ曰く

この村にいるのはアルコール依存者と老人だけ
息子を都会にやってよかった。

息子にはナターシャという恋人がいた。

今はうらぶれた生活をしているし

息子もいまだに一人身でいる。

 

エレーナにしてみれば

変な女に引っかからずに

都会に行って成功した

誇らしい息子なのかもしれないが

彼が5年に1度しか帰ってこないのは

母への反発が有ったのかもしれない。

 

結末は・・・

酔ってベッドに横たわる母を見て

一度は手遅れと思った息子は

それが寝ているだけだとわかり

さっさと帰ろうとするのですが

ひょんなことから帰れなくなり

翌朝、久しぶりに二人で朝食を取ります。

そのひょんなことのおかげで

しばらく滞在することになった息子。

それは「食べてよ」って貰った鯉を

食べずに飼った彼女への恩がえし?

 

ラスト、その時が来たのか

そうじゃないのかは

曖昧に描かれています。

どちらにも解釈ができる。

 

彼女の終活は

あまりにも極端で

現実的にはあり得ないけれど

思いが伝わるストーリーです。