♛Queens lab.

生きることって楽しいを見つけることじゃない?

サラの鍵(洋画)

 

サラの鍵

Amazonprime吹き替え版

2026年1月視聴

1時間51分

原題 Elle s'appelait Sarah 

彼女の名前はサラ

英題 Sarah's Key

 

1942年、ニュースが流れ

子どもたちはベッドでふざけ合い

猫は椅子の上でまったり・・・

そんな時ものすごい音で

ドアをノックするのは警察。

この音でサラの人生の全てが変わった。

 

夫はどこへ行った?

息子はどこに居る?

3日分の荷物、

毛布と食料を用意するよう

母親を急き立てる。

 

パリにおけるユダヤ人狩りです。

こういう話はあまり得意ではないので

続きを見ることを躊躇しましたが

時代は2009年に飛びます。

 

ヴェルディヴ事件

私たち日本人にとってはなじみが無い。

フランス人でも若い人たちは

その詳細を知らない。

 

アメリカ人ジャーナリストのジュリアは

夫と娘と3人でパリに住んでいる。

そしてこの記事を書くことになる。

 

ユダヤ人被害者の娘が

フランス政府と国鉄を訴え勝訴した。

それはヴェルディヴ事件の責任を

シラク大統領が認めたから。

 

1942年7月16,17日フランスに住む

13000人のユダヤ人が検挙され

そのうちの8000人がヴェルディヴに

送られた。

冬季競輪場と言うこの建物に

多くのユダヤ人たちが収容され

そして、いづれどこかの収容所に

送られる運命をたどった。

 

競輪場の観覧席に詰め込まれ

水や食料もない。

トイレも使えず劣悪な環境だった。

 

ジュリアがインタビューしたのは

当時からヴェルディヴの向かいに住んでいた婦人。

彼女は何が行われていたかは

知らなかったけれど

ものすごい悪臭が漂っていたことは

記憶していた。

 

フランス人たちはユダヤ人について

風評を信じていて

その検挙には協力的だった。

そして、検挙したのは

ナチスではなくフランスの警察だった。

 

サラの運命

10歳の少女サラは両親とともに

ヴェルディヴへ。

そしてそこから収容所に送られ

最終的には3人バラバラになってしまった。

 

サラが大切に持っていたのは

弟ミシェルを隠した納戸のカギだった。

 

戦争が終わっても・・・

アメリカで結婚したサラの夫は

今まで出会った中で一番美しい女性だったと

サラの思い出を語った。

そして、今まで出会った中で

誰にも心を開かない女性だったと。

 

サラは、優しい心を持った警官や

親切な農場のデュフォール夫婦のおかげで

そして、運命のめぐりあわせなのだろうか

ジュリアの夫の祖父?の援助も有って

農場を手伝いながら生活していたが

ある日、置手紙を残して

去ってしまう。

 

戦争が終わって平和になっても

多感な時代に味わった思いは

一生サラを苦しめた。

 

アメリカに渡り、結婚し

授かった男の子が成長し

それがサラを苦しめたのかもしれない。

9歳になった息子は

弟のミシェルにそっくりだったから。

 

もう一人のサラ

ジュリアは長年望んだ2人目を

妊娠する。

夫は50近くなって・・・と

産まないことを望んだ。

そのことに憤りを覚えると同時に

夫の冷めた対応に

ジュリアも揺れていた。

 

2年後NYで2人の娘と暮らすジュリア。

彼女が夫と離れ子供を産んだのは

あの取材で思いが大きく変わったからだと思う。

 

サラの息子に始めて会った時

自分が知らなかった母の人生を聞かされて

それを強く拒絶されたけれど

ジュリアの義父(夫の父)が保管していた

サラの写真や手紙を見て

改めて自分のルーツをかみしめた。

 

2年後、ジュリアと再会したウイリアムは

ジュリアの幼い娘の名前を聞いて

絶句する。

名前は皆さんも言い当てたのではないでしょうか。

 

戦争で亡くなった人たち、

心を失った人たちは

単なる人数の数字かもしれませんが

その一つ一つが

語りつくせないドラマと悲しみに

満ちています。

 

サラがもし生きていたら

80代くらいでしょうか?