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ブログを始めたきっかけは人それぞれ
私の場合は、海外旅行の体験記を
一方的に聞いてもらいたかったから。
そして、アドセンスやアフリエイトが
副業になるらしいって聞いたから。
2024年で6年目に突入するにあたって
きっかけからは、だいぶ外れています。
海外旅行の記事
直近のカナダは54記事。
たった4泊6日でこの数は
我ながらなかなか上出来です。
旅行の記事は
ジャガイモを使っていくつの料理を
作れるかと似ています。
似ているけれどジャガイモだけだと
限界があります。
海外旅行記事だけで
毎日更新というのは
どんだけ、ちまちま書くか、
そうじゃなかったら
どんだけ回数飛んでんだ。
これにつきます。
ネタが尽きて
ここで辞めちゃう人もいます。
だけど私はちょっと違う。
ブログを書くこと>海外旅行記事
ブログが書けるなら
何でもいいということに気づきました。
何でもという言いかたは
ちょっと語弊があります。
好きなこと、興味があることなら
何でもいいってことです。
今やカテゴリー、いくつ有るのって
数えるだけでもおぞましい数。
アドセンスとアフリエイト
アドセンスは広告を貼っておいて
それが表示されるたびにチャリンらしい。
誰かがクリックしたら
チャリンチャリンらしい。
間違ってはいませんが1表示の単価・・・
めまいがするほど低いです。
アフリエイトは売る気でがっつかなきゃ
なかなかそこから購入には至りません。
画像を使うために貼っているというのが
正直なところです。
つまり、副業でもなく
小学生のお小遣い程度でもなく
はてなプロとドメイン代が
賄えれば上出来な感じです。
アドセンスが通らない、
アフリエイトの成果が上がらない。
ここで辞めちゃう人もいます。
だけど私はちょっと違う。
ブログを書くこと>チャリンチャリン
ブログを書くのって楽しいと思えるから
こうして継続できています。
よりどころでもある
拠り所(よりどころ)とは、
心理的な安定や判断の基準を得るために
依存する対象や事柄を指す言葉である。
人間は社会的な存在であり、
行動や意思決定において
何らかの拠り所を必要とする。
拠り所は、具体的な人物や物、
抽象的な価値観や信念など、
形状や形式を問わず多岐にわたる。
拠り所は、人間が直面する困難や
不安を乗り越える力を与える。
例えば、家族や友人、恩師などの人間関係、
信仰や宗教、職業や趣味などの活動、
そして自己の価値観や哲学などが
拠り所となることがある。
これらは、人間が自身の存在意義を見つけ、
生きる力を得るための重要な要素である
(Weblio辞書より)
定義を読むと
ちょっと大げさかもしれませんが
ブログが拠り所になっている部分もあります。
ブログを書くことが息抜きだったり
毒を吐ける場所だったり
心を開放する手段だったり
自己認識欲求を満足させたり
知らない人だからこそ言える、
秘密の空間だったりします。
続けたい<続けられない
ブログが好きだけど
書くのが好きだけど
続けられない理由は
いくつかあると思います。
ブロ友なるさんの分析によると
・・・詳細は記事を読んでいただくとして
一度間を置くと
何となく敷居が高くなってしまうらしい。
対策として、これはいかが
続けたいけど続けられない理由は
2つあると思う。
①忙しいから
仕事や子育てや家の事や
なんやかんやと忙しいと
ついつい遠のいてしまう。
だけどいつも気になっている。
そんな時は
毎月1日とか毎月末とか
もう少し余裕があったら
毎週日曜とか。
自分の中で投稿のルールを
決めればどうでしょう。
月1記事なら
通勤途中やスーパーへ向かう道すがら
頭の中でテーマや構成を
組み立てられるかもしれません。
ただし、車で通勤の方は
運転に集中してください。
②書くことが見つからない
ブログって毎日更新が当たり前になると
それなりに書きたいことが浮かんできます。
逆に更新頻度が下がると
書きたいことを見つけにくいかもしれません。
TVのワイドショーで取り上げていたことや
時事的なことでも構いませんが
私誰かの映画記事を読んで
その映画を見て記事にするとか
私誰かの料理記事を読んで
アレンジして記事にするとか
私誰かの(しつこい!)雑記を読んで
同じテーマで書いてみるとか
簡単に言えばパクリですけど
元の記事のリンクを貼った時点で
それはパクリからオマージュに
昇格するのです。
間が空いて何とも気まづい?
それは気の回し過ぎ。
しら~とかえってらっしゃい。
コメントを書こうと
手ぐすね引いて待ってますから。