2つのメンタル
介護には必ず、
される側とする側がいる。
される側
色々なことが思い通りにならないストレスと
周りに面倒をかけているという申し訳なさ、
排泄や入浴介助などの
羞恥心や屈辱感。
色々な思いを抱えていると想像しますが
それは自分が同じ立場にならないと
理解できない部分もあるかもしれない。
する側
家で看る場合は24時間勤務のようなもの。
介護の度合いや性格でも
大きく変わってくる。
複数の兄弟がいれば
なんで私ばっかりと思うかもしれない。
自分の親なら夫(妻)に申し訳ないとか
家のこと、受験を控えた子供のことなど
必要なことに注力できないジレンマを
抱えてしまう。
介護うつという言葉も有るくらいです。
カウンセリング
海外ドラマや洋画では
ギクシャクした夫婦が
カウンセリングを受けるシーンを
目にする。
発砲した警官は一定時間の
カウンセリングを受けなければ
職場復帰できないというのも有った。
日本ではどうなんでしょう?
ネットで調べたところ
欧米での利用率は52%
日本では6%だそうです。
日本におけるカウンセリングのイメージは
●どうせ話を聞いてもらうだけ
●本当に解決に至るのか
こんなところではないでしょうか?
アメリカドラマを見ている限りでは
話を聞いているだけにしか見えません。
有効性に疑問があるような
アドバイスもしていますが
結局のところ的確な解決策を
提案しているような気がしません。
つまり、メンタルケアは
物理的な解決ではなく
聞いてあげる、
吐き出す場所を作ってあげることで
心を楽にする方法では
ないでしょうか?
される側の人は誰に話せばいいのか?
デイケアに行ったらそこの仲間。
あるいは職員さん。
嫁がね〜とか、息子がね〜とか
感謝してるけど
それとこれとはまた別な話。
そんな時には
一生懸命やってくれてるんだよ、
感謝しなきゃ・・・みたいに
諭すのではなく、
同調する必要もないけれど
そうなんだって聞いてあげるのが
大事だと思う。
する側の人は相手を選ぶ
毎度毎度となると家族はうんざりする。
うんうんと聞いてくれる人が必要。
訪問介護やケアマネジャーや
状況を理解している人こそ
良い話し相手かもしれない。
ただ、忙しい身
そこまでゆっくり付き合ってくれるだろうか。
ヤングケアラーというのも有るけれど
大抵の場合介護する側も大人。
大人が泣き言を言っちゃいけない、
弱音を吐いちゃいけない、
そんな思い込みは間違ってる。
楽しむことに罪悪感を抱いてはいけない
終わりの見えない介護に
人生を捧げる必要はない。
使えるサービスはとことん使う。
デイケア、ショートステイなども。
ただこれに関しては
本人が了解してくれるか疑問ではある。
家で看ていてくれるサービスもあるのかな?
おばあちゃんを他人に任せて
遊びに行くの?と
思われたくないなんてカッコつけずに
堂々と出かければ良い。
友達が介護の真っ只中だったりすると
誘うのは非常識だと思われそう。
だけど本当はお誘いが
お出かけの口実になることもある。
それどころじゃないって
思われちゃうかもしれないので
その辺は上手に
誘って大丈夫かを聞いてみて
その人の家の近所で
お茶して、たくさん喋って
それだけでもすっきりすると思う。
ブログも私のよりどころ
お出かけは無理でも
ブログを書くことなら細切れの時間の中でも
何とかなる。
こうやって、介護のあれこれを
記事にすることで
色々な物事を俯瞰で見られる気がする。
不特定多数の人に向けて書くことで
気分が晴れる気になる。
ひとつの発散でもあり
介護体験者や介護職の方のコメントなど
参考になることも有る。
私には私の人生がある。
愉しむことを辞めたりはしない。
遊びにも行く、旅行にもいく。
母の入所3か月目から
一日交代で面会に行くことにしました。
丸々1日好きに使えるのは
精神的に非常にいいです。