じゃらんnetより
荒城の月
土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲
確か小学校の音楽の時間に
習ったような気がする。
今どきの教科書には
載っていないかもしれません。
こんな歌詞です
春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし
むかしの光いまいずこ
明治34年に作られた歌詞で
4番まであり
短調なメロディーが
郷愁を誘います。
悠久無常の哀愁、栄枯盛衰を
詠み表したと言われています。
傷痍軍人とリンクする
傷痍軍人というのは
戦争で負傷した兵隊さんの事です。
初めて見かけたのは
就学前か後か、そのくらいの頃
1960年代。
上野に行った時。
上野動物園か上野公園かその辺り。
白装束にカーキ色の軍帽?
四肢のどこかを欠損されていて
アコーディオンを弾きながら
地べたに敷いたゴザの上で
物乞いをしていました。
それがどういう人なのかの説明は
たぶん一緒にいた大人から
聞いたのだと思います。
その時の曲が荒城の月。
悲しげな旋律と、その姿。
障害がある人を
うとましく思っているわけではありませんが
私や周りの大人たち、
目に見える周りの景色の中に
戦争の色は一つも見当たらない時代に
なぜかそこだけ
スポットライトが当たったように
違う次元の人を見たような
気がしました。
みんなは前に向かって進んでいるのに
この人だけ
止まった時間の中にいるような。
的確な言葉が見つかりません。
真偽のほどはわかりませんが
そんなに度々ではありませんが
新宿西口の京王デパートと
西口コンコースの間のあたりで見かけたのは
10代になってからだと思います。
調べたところによると
1990年代頃までいたようです。
戦争ではなく何かで怪我をした人が
同情を引くいて物乞いをした。
そんな話も有ります。
中には物乞いが目的ではなく
(年金で暮らせるので)
そうやって繁華街の人眼に身をさらし
戦争の悲惨さを伝えていた人も
いたそうです。
みんながみんなアコーディオンを
弾いていたわけでもないし
荒城の月を
弾いていたわけでもないのですが
荒城の月を聞くと
あの姿とリンクし
えも言われぬ切ない気持ちになります。